悪あがき
「男はあきらめが肝心」
なんていうけれど、
簡単にあきらめんなよ。
納得いくまで悪あがきしてみろよ。
嫌いじゃないぜ、悪あがき。
これは、今の心の流し書き。
がんばれ。
- [2013/11/19 20:52]
- ヒトリゴト |
- トラックバック(0) |
- コメント(-)
- この記事のURL |
- TOP ▲
後戻り
人生の岐路に立たされる時、その大きな選択に迷う時がある。
自分がどの方向に進むか、どうしても決められない時でも、
何かを犠牲にして、捨てて、先に進む。
今まで、そうやって前に、夢に近づいてきたつもりでいた。
後戻りなんてしている暇なんてないとばかりに。
でも最近になって「捨ててきた」と思っていた事のいくつかは、
実は「置いていた」事に気が付いた。
自分の人生にとって、本当に大切な選択の場合、
どちらかを切り捨てなければ、先に進めない事もわかっている。
もう、そこには戻れないことも。
でも、あることがキッカケで、今まで来た道を後戻りする事があった。
その時に、捨てたと思っていたことが、実はその場所に置いてあって、
これからの道で、多いに役に立ったのだ。
それは「思い」だったり、「人」だったり、或いは「モノ」であるかもしれない。
形は何であれ、自分の元に戻ってくるのだ。
そしてまた共に、先に進む。
そんな事はよくある事ではなくて、
自分が本当に悩んで、迷って、出した結果の事で、
軽い気持ちや曖昧な心で決めた事には、まずない。
覚悟を決めて進んできた道を、
引き返すことは誰でも抵抗があると思うけど、
どうしても先に進めなければ、もう一度覚悟を決めて引き返し、
助走をつけて、超えてゆく。
「後戻り」したって良いだろう?
人生も、夢も「捨てた」もんじゃあない。
ただ、置いてきているだけだ。
- [2013/10/09 21:36]
- ヒトリゴト |
- トラックバック(0) |
- コメント(-)
- この記事のURL |
- TOP ▲
後ろ姿
「男は黙って背中で語る」
この言葉がこれほど似合う人を、私は1人しか知らない。
あこがれだったし、道標だった。
その人に言われた言葉、1つ1つを今でも忘れていないけれど、
それよりも心に残っているのが、後ろ姿だ。
「自分で考えろ」と言わんばかりに、悩んだとき、迷ったときに、
言葉を控えて去ってゆく。
その背中に、後ろ姿に、
やる気とか、希望とか、夢とか、
自分のこれからを見せてもらった気がする。
もう、その後ろ姿を見ることも、
追いかけることもできないけれど、
どんな言葉よりもまっすぐで、正直なその後ろ姿は、
これから先も、自分の中で生き続けて行く。
「男は黙って背中で語る」
いつかそんな男に、私もなりたい。
- [2013/08/30 22:07]
- ヒトリゴト |
- トラックバック(0) |
- コメント(-)
- この記事のURL |
- TOP ▲
「keep paddlling」
『波乗りが上達したかったら、海に入り続けろ。
「Keep paddlling」だ。』
あの日も今日と同じくらい良い天気で、風も雲もなく暑い日だった。
その海沿いの町に越してから、人生が大きく動いたのかもしれない。
目を閉じると当時の出来事が、昨日のように思い出される。
あれから10数年が過ぎて、今の生活を続けている。
そんなある日、いつものようにお店の電話に出る。
その声は紛れもなく、海沿いの町のあの人で、
「近くまで仕事で来たから、お店に行くよ」なんて
そんなに近くもないのに顔を出してくれたあなたは、
当時と同じく無邪気な笑顔で、話しかけてくれた。
あの当時、知り合いも友達もいない私に、海のこと、街のこと、波乗りのこと、釣りのこと、数え上げればきりがないけれど、昔からの友人のように接してくれたあなたは、
「また、こっちに遊びに来なよ」と、普通に、至極普通に帰って行った。
「必ず遊びに行きますよ」なんて返したけれど、
当時のように、みんなに担がれて、防波堤の上から海に投げ込まれるのは勘弁だから、
波乗りでもしながら、また楽しくやりましょう。
『keep Paddlling』
あなたが置いていったその言葉とサーフボードは、
まだ物置に当時のまま残っているけれど、
その言葉の通り、今も「漕ぎ続けている」。
どこに向かっているのか、時々わからなくなるけれど、
また会うその時まで、「keep paddlling」。
- [2013/08/07 15:36]
- ヒトリゴト |
- トラックバック(0) |
- コメント(-)
- この記事のURL |
- TOP ▲
半端な心
昔から、中途半端が嫌いだった。
こうと決めたら何が何でもやらないと嫌だった。
言ってみれば、頑固モノだ。
今の君と同じで。
別にこれが悪いとか言っているんじゃなくて、むしろ良いと思う。
では何故過去形になったのか。
今でも譲れない時や場合はある。
でも独立してみて数年が経つと、そうも言っていられないときがシバシバある。
食べて行くため、家族を養って行くため、お店を続けて行くために、自分のココロに合わない事もこなして行かなければならない。
言ってみれば中途半端なやつだ。
そんな半端な気持ちでやった事なんか、誰も感動させられやしないと君はいっただろ?
それが、違うんだ。
「半端な心で始めた事に、心が決まるときがある。」
もう、こうなったら中途半端ではないんだよ。
だから、興味の芽を摘まずに、迷ったら試してごらん。
最初からいろいろ決めないで、やっているうちに決めたって良いんだ。
その殻を破るのは簡単ではないけれど、いずれ必ず訪れる。
その時に、この独り言を思い出してもらえれば幸いです。
- [2013/07/26 22:06]
- ヒトリゴト |
- トラックバック(0) |
- コメント(-)
- この記事のURL |
- TOP ▲