時が創る味 

古いモノが好きだ。
長年使い続け、風雨にさらされ、色が煤け、
時間が経たないと出ない「味」となる。
それは、道具であったり、家具であったり、
洋服や靴であったり、建物であったりする。
手間暇かけたものが、時間という調味料を加えた時、
この世に2つとない「味」を持つものができると思う。
少し大袈裟かもしれないが、そう思っている。

その点、料理はどんなに手間暇かけたとしても、食べたら無くなってしまう。
10年前、ふとそんな事を思い、考えた。
そこで思いついたのが、「継ぎ足し」という日本ならではの調理法だ。
もちろんmikumariで食べてほしいのはミクマリプレートであるのだが、(手間も、原価もかかっているので。)
お店の歴史を創る料理も作りたかった。
そこで、デミグラスソースのように作るカレーを考えた。
mikumariのカレーは、オープンから継ぎ足し、継ぎ足し作っている。
言ってみれば、今のカレーは10年経たないと出ない「味」だ。
mikumariの歴史の「味」なのである。(これも大袈裟)

お店の家具も、お皿もカトラリーも、空間も建物も、そして料理も。
これからも「時が創る味」を味わい、続けて行きたいと思う。
「mikumariの味」は今後どうなって行くのか。
それは、続けて行けばわかるさ。
迷わず行けよ。

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この木、何の木? 

植えてみないとわからない。
育ててみないとわからない。
何年か経つと少しづつわかってくる。
自分が植えた木が、何の木なのか。

それは、すごく大きくなる木かもしれない。
挿し木ができて、いろんなところで育つ木かもしれない。
場所を植え替えたほうが、育つかもしれないし、同じ場所で増えて、大きくなる木かもしれない。

自分が植えた木はというと、
10年経っても、それほど大きくなく、挿し木もできそうにない。
違う場所に植え替えたら、枯れてしまうだろう。
でも、根は大きくなった。
これからいろんな花が咲いて、果実もなる気がする。
剪定したり、草むしりをしたり、害虫を退治しなければならない時もあるけれど、
適度に水をあげて、生長を見て行くつもりだ。
自分が植えた木は、まだ何の木かわからない。

木を育てることと、お店を続けて行くことは似ている。
11年目のmikumariも、宜しくお願いします。



物語 

好きな小説や映画がある。
それらに共通していることは、決まっていて、
内容はどうあれ、物語の流れがある意味同じで、
この流れが、自分にとっての感動というか、心地よさというか、
そういったものを超越した、なんとも言えない気持ちにさせる。

それは海にも似た感覚で、大事なのは、小さな波やさざ波で、
押しては返す心地よいリズムを刻みながら、人の心をその場に留める。
波乗りをした人であれば解ると思うが、
波というのは、何十分か、または1時間に一回くらいに大きな波が必ず来る。
その、稀にくる大波、うねりが、人の心を違ったどこかへ運ぶ。
この運ばれた心が、先に書いた「何とも言えない気持ち」にさせるのだ。

これは、お店という「物語」を続けていくことと同じで、
日々の生活が、さざ波であれば、
イベントや改装といったものが、大きなうねりになり、
それが、想像を超えたものだと、お客さまの心を違うどこかに運んで行けると思うのです。
そんなお店って素敵じゃないですか。










皆々様は、mikumariの波に乗れてるかい?






交差点 

うまくいっている時や、がむしゃらな時には気が付かない。
でも、ちょっとしたことで気になるのだ、その交差点は。
まるで、この漢字って、こう書くんだっけ?
というような感覚でやってくる。
もう、そうなってしまうと、迷って、立ち止まる。
そんな時は思い返してみるのだ。
「あの時はこうしたはずだ」「あの人ならこうするだろう」「あの日の自分は・・・」と。
そんなことをしてみても、本当の答えは見つからない。
答えは解らないけれども、また歩き出す。
そうやってここまで来たんだろう?
だったら、歩こうぜ。
同じ歩幅でついていくから。
たとえ、交差点で別れたとしても。

楽しもう 

当の本人じゃないから、本当の気持ちなんて解らないけれど、
ここぞという時に戦えば、あとは楽しもうよ。

頑張れ、とか、乗り越えろ、とか、そんな言葉より、今は楽しもうと言いたい。
今が、「ここぞ」という時だってのも知っているから、ふざけんなと言われるかもしれないけど、
その時は2人で飲むときにとっておいてよ。

だから、終わりまで、楽しもう。
この歌でも聞きながら。

ハッチハッチェルバンド 「つなわたりの唄」