火のゆらめき  終 

最近、火を囲む事が多い。
火は何かが集まったとき、(人やもの、或いは祭りや芸能など)熾すものだと思っていたが、本当は火があるから、それらがあるのだ。
つまり、火があるから、あらゆるモノが集まる。
やっぱり、暮らしの中に、火は必要と思った夏の終わり。
囲炉裏で酒をひっかけながら。

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続々 火のゆらめき 

火というものは面白くて、
簡単に点くときもあれば、なかなか点かない時もある。
どんなに大きな薪を入れても、ほうっておけばいつかは消える。
消えたと思っても、よく見ると「燠」がまだあって、薪を足せばまた燃え上がる。

色も様々で、その時の状態で変化する。
どんな火の色も好きだが、特に好きなのは、
木の芯まで入った「燠」の色だ。
これ程綺麗な色はそうそうない。

また、火は音も奏でる。
燃え始めはバチバチと大きな音を立てるが、
次第に小さくなり、「燠」になるころには囁くような音しかしない。
この音が、また心地良い。

こう考えると、自分の中では「燠」の状態が、
一番大好きな火の状態だと言える。

「燠」とは言ってみれば、火の最後の状態で、
放っておいたら消えてしまうし、薪をくべればまた吹き返す。
その美しい「燠」をいつまでも維持できないのだ。

今の自分のココロも、この「燠」のようにくすぶっている。
どうせ放っておいたら消えてしまうのであれば、
小さくても良いから、薪をくべてみようと思う。
どんな色で、どんな音を奏でるか。
火も人生も、自分の目論見通りに行かない。
そこがまた、面白い。

臆病風 

夢をみた。
その夢にはもう一人の自分がいて、
遠くで何かを叫んでいた。
夢の中の自分に近づいてみると、
「逃げんのかよ」と。
「人には偉そうなことを言って、自分は逃げんのかよ」と。
その旅に出ることを決めたのは、その夢がキッカケだったのかもしれない。

その旅はもちろん楽しかったけれど、
普段、1人で全てやってきたと思っていた自分の未熟さや、
ふがいなさ、或いは過信を知ることになる。
いろいろな人に支えられて、ここまで来れたのだと。

いつも強がっていたけれど、できないことや、やりたくないことに、
適当な理由をつけて、臆病風に吹かれていただけなんだ。
旅に出てみないとわからないことを、この旅は教えてくれた。

「その旅を決意したのは、季節のせいだけではなくて、
前に出会った人々や、その場の空気を感じたくて、
君たちと共に、旅に出たんだ。」
こう書けば、カッコイイだろう?
でも旅から帰ってからは、楽しかった思い出よりも、反省の毎日で、
また臆病風に吹かれている。
そんなカッコイイことなんて書けない、そんな自分がいる。

この臆病風がやんだら、また一緒に旅に出よう。
そのときまでは、またお互い別の道だけど、
今度は最後まで、旅が終わってもみんなと笑っていたい。
でも、また迷惑かけても、大目に見てよ。
あいつじゃあ、しかたないって。

良い旅をありがとう。








きびだんご 

mikumari 116
イタチや狸はよく見かける。
この間、近くの川で雉をみた。
そして裏山でまさかの猿発見・・・。

きびだんごを作って旅に出かけようか。

絵本のこと 

小さい頃、絵本を読んでもらっていた事を、今も時々思い出す。
子供が生まれて、絵本を読む機会が増えたからかもしれない。
その時に、特に思い出すのが、昔から伝わる話や、童話等を絵本にしたものだ。
私が小さかったころは、まだ絵本の作家さんは、オリジナルのものより、それらを主流にしていたと思う。
もっとさかのぼれば、最初に絵本になったのが、昔話や童話だったはずだ。
だから、私の父や祖父、その上の世代もそれらを見たり、聞いたりしてきたはずなのだ。
それらの話は決まって、「悪い事をすると痛い目に会う」という内容。
多分、何処の国でもその内容だと思う。
そういう話を物心付く頃から聞かされていたから、十数年前までは、今のような酷い犯罪は起きていなかったのではないか。
それも1つの要因だと思う。
今は、絵本より、テレビやゲームといったもので、子供の相手をしている。
何が良くて、何が良くないのか。
それが解らないから、しっぺ返しも解らない。
だから、もっと絵本と関わる時間を増やしていけば、
少しは平和な世の中になる気がするのです。
私が小さい頃好きだった絵本、「パンのかけらと小さなあくま」
きっとあの本屋さんにもあるはずだ。

その本屋さんは同じ芳賀町にある、「BOOK FOREST」。
素敵な絵本がたくさんある、素敵な場所。
そこで、2月23日(土)に焼き菓子を置かせてもらいます。
詳しくはリンク先まで。